羊と鋼の森 宮下奈都
いろいろあり、久しぶりの投稿。
ふらっと立ちよった本屋で何気なく手にした本。
「羊と鋼の森」
背表紙のあらすじを読んでも特にひかれるところもなく、いつもなら書棚に戻してしまっていたと思う。
本屋対象を受賞したのも知っていた。
その時も特に興味を抱くことはなかった。
なのに、書店の店員さんが書いた言葉に目が釘付けになった。
確か「綺麗な言葉に溢れている」。
少し前から勉強しだした英語も言葉に興味があるから。
日本語もしかり。
ピアノ調律師のお話という時点で、読み進められるか一抹の不安もあったが、ぐんぐん引き込まれていった。
出だしから作者の言葉に自分とは無縁の世界へ入り込むことができた。
初めて読んだ作家さんだったが、綺麗な言葉や文章の数々に、心が洗われた。
とても読後感の良い本。
そして、文中で紹介された、原民喜の言葉。
「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」
今回の本では、この本の作者だけでなく、原民喜という、今まで出会うことのなかった2人の作家さんに出会うことができた。
とても幸せだ。
「山月庵茶会記」葉室麟
毎朝 満員電車に揺られ、電車から吐き出されるようにして降りた駅から、テクテク職場まで歩く。
そんな変わらない毎日だが、1冊の本との出会いでまた変わったものになる。
「山月庵茶会記」葉室麟
うっとりするような情景描写。
上品な登場人物。
読み出すと、一気に日常を忘れ、本の世界へ。
私も昔習った茶道に自分がその時は感じられなかった奥行きに心動かされた。
千利休が茶をたてた戦国の世。
今日、茶を差し上げた客は明日には命を失い、家がほろびておるかもしれぬ。…
茶をたてる心は、相手に生きて欲しいと願う心。今日の茶を飲み、明日の茶も飲んで欲しいと思えばこそ、懸命に茶をたてる。
そして、茶をたてるおのれ自身もいきていようと思う。
こんな素敵な作品を読むことができて、生きていて良かったと思えた。
優しい音楽 瀬尾まいこ
本の帯の何とすばらしい評価の数々。
ただ、えてして同じ意見にならないこともあり。
私にはどうしても、略奪愛や不倫といった内容に感嘆することができず。
それがどんなに涙を誘う設定であったとしても、私の心には残念ながら響かない。
今回読んだ、「優しい音楽」は3つの短編集。
前回読んだ「強運の持ち主」も感銘を受けなかったのは、主人公が略奪愛をしたからだと、ようやく気付いた。
今回の話の中にも、不倫の設定があり、その話だけはどうしても響かなかった。
他の2話に関しては、素敵な話だったと素直に思える。
他人を思いやる気持ち、前向きになれるお話。
いろいろな感想を持つことのできる読書、やっぱりやめられない。
強運の持ち主 瀬尾まいこ
前回読んだ本が思いの外、面白かったと思うと、同じ作家の他の作品も読んでみたくなる。
瀬尾まいこさんの「そして、バトンは渡された」
映画化もされて、今ごろになって子供から借りて読んでみた。
思いがけず良い作品に巡り会えたので、「強運の持ち主」も読むことに。
う~ん、作中の言葉を借りるなら、「しっくりこない」
私にはしっくりこなかった。
出だし、会社勤めに馴染めず、占い師に転職、あたりは気持ちがよく分かったし、転職先が占い師の設定にひかれた。
1章ごとが電車で読むには短くまとまっているので、読みやすかったけれど、「そして、バトンは渡された」の受けた感銘が高すぎたからか、薄く感じてしまった…。
もっと主人公の心の流れが知りたかったのか、自分の中で深く刺さるものが残念ながら私にはなかった…。
でも、きっと次に読む作品は別の印象を受けるはず。
私が本を好きになった理由
外を駆け回ることが何より好きだった子供時代を経て、出会ったお宝本。
もう25年以上も前。
本が先か、映画が先か…。(卵が先か、にわとりが先か…)
どちらを先に知ったのか覚えていないが、
心動かされる、心の琴線に触れるとはこのことなのか!
目から火が出る…違う。目からうろこ…違う。
あの時の衝撃を表す言葉を私は持ち合わせていない。
死んでもなお、友を心配する幽霊。
あの頃は友情という観点で読み進めていなかったが、
今思うと、1人の人間の目を覚ますことができるほどの友への思い。
過去、現在、未来へ導かれるたびにスクルージの心の動き。
そして最後に訪れるスクルージのすがすがしさ。
人間って捨てたもんじゃない。
人生ってまだあきらめるもんじゃない。
こんなに希望を持った物語は初めてだった。
クリスマスキャロル最高!!
チャールズディケンズ最高!!
私が本を好きになった理由 パート1
今日はまだ今読んでいる本が読み終わっていないので、本を好きになった理由を書くことに。ブログをお読みの方からはそんなの知りたくもない…なんて声もあがりそうですが。
幼いころから たくさんの本を読み聞かせしてもらっていた!
そんな訳はない。
手のかかる子供を3人抱え、出張の多い父、そんなワンオペ育児の母に読み聞かせをする時間などあるわけもなく。
が、読書大好きだった父のおかげで大きな書棚に本、本、本。
そして あるとき親戚から届いた世界名作シリーズの本たち。
ずっしりと重い本の綺麗な表紙の数々に、子供ながらにうっとりしたことを今でも覚えている。
自分が何歳だったかは覚えていない。
確かなのは、「思う」も読めなかったことだ。
ルビうちなんてされていない不親切な本たちに魅入られた。
「思う」を「おもう」と勘で読み、それが確信にかわったときの喜び!
そう、己の力で読み進めなければならなかった環境。
そんな幼い子には過酷ともいえる環境に、飽き性の私が続くわけもなく。
いつしか外を駆け回る生活へ逆戻り。
小学校へ入学する前から走り回るのが大好きだった。
走っては転び、走っては転び。
膝にはかさぶたという勲章の数々。今でも膝には消えない勲章が。
そんな文字を読むより、駆け回ることに時間をさいていた私が本の真の魅力に気づいたのは、かなり大きくなってから。
もう今日はこれまで。
続きは明日…かも。
人生に疲れたとき 「あん」
新しい本を読めていないので、前回読んだものをご紹介。
「あん」
この方を知ったきっかけは、日曜日の朝に放送されている「はやく起きた朝は」で磯野貴理子さんが紹介されていた「プチ革命 言葉の森を育てよう」という本だった。
そんなこともいつしか忘れ、図書館をふらふら歩いて本を何気なく見ていたら、ドリアン助川なる文字にくぎ付け。
どこかで見た名前…。
思い出せない。年のせい。
お笑い芸人さん??(ドリアン助川さん申し訳ございません)そんなことを頭の中でぐるぐる考えながら、これまた「あん」という題名に惹かれ、借りてみることに。
読みだすと止まらない止まらない。
らい病という病気を詳しく知らなかった己を恥じ、読み進める。
この本もまた涙が人知れず流れる。
人間の残酷さ、希望。
こんなふうに言葉で表現できる作者、尊敬する。ドリアン助川さん。
たぶん、これから先、人生に疲れた時、悩んだときに読み返したくなると思い、図書館に返却した後、書店に向かった。